出店奮闘記



工事期画像

その1

2004年の春くらいから本格的に動き出した。

でもまず、何故に店を出したいかと思ったかから書いていこうと思います。

高校の頃から地元で空手を習い始めていた私(弟)は、卒業と同時に通っていた空手道場の東京の総本部に内弟子として空手を習う事にした。

兄は、高校を卒業後大学に進学し、学費と生活費をバイトで稼ぎながら、極貧生活をし、20kg痩せ、一人で海外に旅行と言うか旅に出て、卒業後は世界一週しようと目論見、金を貯めていたが、実家からの1本の電話を受け、1週間後帰省した。


私は、兄が大学3年の時に上京し、そのまま5年間空手地獄の生活を送っていた。
兄が大学卒業後、実家を手伝ってくれていたおかげで自由に東京で空手地獄を味わっていられた。それなりに充実した空手地獄の日々から、兄と同じ1本の電話で帰省する事になった。

兄は、大学を卒業後、実家の家業の当時スーパーマーケットを継いでいたが、一度倒産した家業の返済が思う様ではなく、店を出てトラックドライバーをして、給料を返済にあてる事になった。

それで私に実家を手伝ってくれと電話がかかって来たのだ。

電話を受け、3週間位で帰省した。

両親は、スーパーマーケットを閉店し、スーパーの頃に好評だった餃子と惣菜の卸業を、細々ながら力強く営んでいた。

地元に戻り3年目の頃、私も先の見えない家業が辛く、父とぶつかりまくり、借金返済と実家が潤ういい方法がないか兄と相談し、実家から卸してもらった物を販売するBARをやろうと思ったのだ。






その2


まずは、店舗探しから始まった。

何十件回ったろうか。

始めに候補にあがったのが、繁華街の中心の通り(どこの地方にもある銀座通りという通り)に面した建物の2階だった。

以前は事務所だったらしく、何もない。

25坪位の部屋だが、何もない。

が、何も無いのが、店を好きに作れると魅力的だったのと、場所等の条件がよくそこに決めようと思った。

その物件は、不動産を通してなく、1階の本屋さんに聞いたところ隣町のドデカイ会社の社長さんの私物だそうだ。

すぐさま直接電話をかけ、アポを取り次の日には、兄弟で社長室にいた。

社長室と言う部屋は始めてであり、受付嬢に案内されるのも丁寧にお茶を出してもらうのも初めてだった。

緊張に顔を歪めながら社長を待った。

10分後位に秘書に案内され、恰幅の良い社長が現れた。

名詞の交換等一通り終わり、席についたら早速話を切り出した。

何から話していいかも分からずいきなり

○市○町の○ビルの2階で飲食店をやりたいんです!あの物件お貸し頂けないですか?やる気はあるんです!力貸してください!でもお金はありません!」

と言った。

社長は面食らった顔を思いっきりした。

それもそのはずだ。どこの馬の骨かも分からない、ロン毛と、坊主頭のあんちゃん二人がいきなり、あなたの物件が気に入ったので貸してくれ!金は無い!と言ったのだ。

社長はゆっくりお茶を啜り、こう言った。

「分かりました。協力しましょう。」

今度は兄弟揃って、鳩が豆鉄砲くらった様な顔をした。

そんなに早く決断するとは思っていなかったからだ。

「後は秘書と家賃の相談をして下さい」

社長は部屋から出て行った。

秘書の方と色々話を詰め、後日またお会いするアポを取った。


兄と家に向かう車の中で興奮しながら、

「店はこういう風に作ろう」

「こういう料理、ああいう飲み物を出そう」

と色々語りあった。

今思えば、店を出すという理想が、初めて現実の物になった瞬間だった。








その3

次の日から、すぐに間取りや工事の日取りや、見積もりなどを出しまくった。

現実的になって来た自分達の店を思いながら忙しいながらも充実した日々を送っていた。

が、早速問題が出てきた。

以前、歌舞伎町で起きた雑居ビルの火災以降、消防法が変わり規制が厳しくなり、まんまと自分らの物件もヒットしていた。

今の物件で飲食店を始めるなら、ビル火災報知器が必要らしい。

ビル火災報知器とは、その建物のどこの部屋で火事が起きても全部の部屋のベルがなり消防署にも連絡が入ると言う物だった。

ざっと計算してみる。

100万だ。

そんな金無い。

無理だ。

断るしかない。

になった。


色々協力してくれた社長に断りに行く事になった。

男らしく協力してくれると、一肌脱いでくれた社長に断りに行くのは簡単ではなかった。

俯きながら受付嬢に案内され、社長室に入り、社長が入ってきた。

「すいません。歌舞伎町のビル火災から消防法が変わり、火災報知器を入れなければならなくて、その金額を頭に入れてなかったので、社長の物件では出来なくなってしまいました。期待を裏切る様な結果で本当に申し訳ありません。」

社長が
「う〜ん、、、あなた達やる気はあるのか?」

と言った。

「やる気はあるのですが、金がありません。」

社長が
「やる気があるなら、金出してあげるから存分にやりなさい!」

「うぉおおおー!ありがとうございます!頑張ります!」

と、秘書の方と次のアポを取り、帰った。

案の定、帰りの車の中は、興奮だった。

実家に帰り、父親にいつもの通り報告した。

父親も喜んでくれて、

「問題が出来たって言う様な問題は所詮、問題じゃない!」

と、男らしい言葉を言ってくれた。






その4

火災報知器の問題をクリアした後、また悩みが出てきた。

社長は火災報知器を付けてくれるとまで言って頂いたのだが、2階という場所、間取り、具体的に話を進めてきたらどんどんと問題が出てきた。

そんな時に、近くの場所に新しい物件が出て来たのだ。

場所もすごくいいし、間取り等以前の物件と比べるととても好都合な物件だった。

これはとても悩んだ。

こんな兄弟に協力してくれると、言ってくれた社長に、

「こっちの方が都合がいいのでこっちにします。」

とは、言えない。。

父親とも相談した。

本当に悩んだ。

結局、結論はこう出た。 

色々問題を抱えるが気合で頑張る→毎月の支払が滞る→社長に迷惑がかかる ×
やり易い場所でノビノビと頑張る→店を上手く行かせる→他の何かの方法でお礼をする ○

社長室に行った。

「本当に申し訳ございません。いつか必ず、恩返しは致します。」

社長は、
「分かりました。1番のお店になるように是非頑張って下さい。影ながら応援します。」

社長に深々と頭を下げ、社長室をでた。

帰りの車の中は、さすがにシーンとしていたが、社長の恩義に応えるように、気合入れなおして頑張ろう。

兄弟でまた一つ決意を固めた。







その5

新しい物件とは、以前タイヤ屋さんだった所。

とりあえず行ってみた。

店の前に立つと、今まで回って来た物件のどれよりも、
「ここだっ!」

と、何と言うかインスピレーションと言うか、ここしかないなと言う、なんか変な感じがした。

次の日早速不動産屋に行き、中を見せてもらう事にした。

なかを見て、スケールで図りながらメモをとり、家に帰り簡単な図面を書いた。

兄は、早速色々なイメージが湧いてきたらしい。

自分は、まだイメージは湧かないものの、変な自信が出てきた。

「ここで決まりだな」

あまりにもインスピレーションが強かった為、それからは早かった。

すぐに、契約内容の確認、友人の大工に工事の見積もり、業者への発注等初めた。


が、しかしまた問題がわんさか出て来た。

まずは大家さんが、以前他の物件で借主に家賃の滞納後、逃げられると言う経験がある為、かなり厳しい審査があった。

@保証人は2人

A保証人は、現役の公務員か潰れる心配の無い大企業の人

B土地持ち

C家持ち

探し回った。

親戚、友人、親父の友人等、何十人もあたった。

が、親父が以前のスーパーを潰した時に、親戚、親父の友人等から色々世話になったので、その息子達の面倒までは見れない。地道に働きなさい!と言われまくった。

最後の親戚に断られ、もうお願いするあても無くなり、途方に暮れた。

まあまだ短い人生だが、途方に暮れるとはこう言う事なんだなと思った。

兄貴とこれからどう動こうかと相談していた時、

「この際、日立で一番でかい会社の社長にお願いしよう!」

と、また訳のわからない結論に出た。

一番でかい会社の社長とは、昔、親父が何度か会った事があると言う事を聞いたので、すぐさま親父にアポを取ってもらった。

次の日、早速会社に行き、また受付嬢に案内され、応接室に通された。

一度経験したので、慣れたものだった。

前回の事を参考に、自分達の考え、商売に対する気持ち、熱意、店を作ってからの売上予想高、伝え方の順序等々かなりシリアスに考えた。

結果、

「飲食店を開きたいんですが、保証人になって下さい!」

と、前回の通り、いきなりの伝わりづらい伝え方だった。

社長は、
1週間時間を下さい。」

と言い、席を立った。

社長室を出てから、兄と
「いきなり過ぎたな。あんなんじゃ伝わらんよ。」

と、お互いのダメだし大会になった。

それからの1週間は、本当に長かった。

1週間どうしようかと考えてたが、やることもなく、社長はいい返事をくれるだろうと勝手に考えた。

そしてまだ借りれるか分からない物件に合わせて、使うテーブル、椅子などを探しまわった。

でもなかなか見つからないので作る事にした。

簡単に作ると言っても作った事が無い。道具も無い。

とりあえずカインズホームに行き、売り物のテーブルを見つけ二人で持ち上げ逆さにしてメモった。

カインズホームはそこで材料を買うと工事用具一切を貸してくれる。

それから6日間おにぎりを持ち、開店から閉店までカインズホームにいた。

始めは、二人で黙々と作っていたが、2、3日経つと、パートさん達も気にかけてくれて、
「何始めるんですかー?」

「お疲れ様でーす」

「お先デース」

とか、普通に、出勤退勤するパートさん同士みたいに声をかけてくれた。

6日目に出来上がり、カインズホームのトラックを借りて、とりあえず自分の家にもって帰った。






その6

1週間立ち、社長室に行った。

社長の答えは、

「色々考えたのですが、協力してみる事にします。私も昔色んな人達に力をお貸し頂いたので、これからは貸す方に回ろうかなと思いまして。」

だった。

「ありがとうございます!本当にありがとうございます。」

帰りの車の中で何回もガッツポーズをし、実家に行き親父に伝え皆で喜んだ。

「これからだな。勝負は。」

と、考えながら、本当に喜んだ。


その日から早速友達の大工と本格的な見積もりを取り出した。

元タイヤ屋さんの物件は広さ、立地、家賃等申し分ないのだが、壁が無い。

ドアとか窓とかがついてるあの壁が無い。

シャッターを開けるとすぐに中。完璧なバリアフリー。

とりあえず壁を作ってくれと大工に頼んだ。

友人の大工は、明日見積もり出すよと言い残し帰った。

兄貴とココがカウンターで、ココが調理場でと、出来上がる自分達の店を夢見てはしゃいだ。

次の日、友人の大工が出してくれた見積もりを見て自分達の予算の1.5倍位で、こりゃ無理だなと考えていると、友人の大工が安くするように親父に交渉してみると言ってくれた。

その日の夜、友人から電話があった。

内容はこんなものだった。

見積もりは、友人が出したもので、親父に伝えたら、そんな額じゃ仕事にならん!と言われ自分達の予算の2倍になってしまった。

力になれなくてごめんなさい。
と。

よし!次!
心を入れ替え次の大工は〜と考えてみた。

親父の知り合いしかいないな・・・

親父に電話した。

次の日に親父の知り合いの澤田さんというまじめそうで、物静かな人を紹介してもらった。

早速現場に行き、いろいろ見てもらった。

予算を伝えると、

「その額じゃ会社動かせないなー」

と言われた。

「でも、本気で店をやりたいんです!なんでもします!どうにかして下さい!!」

と伝えると、澤田さんがこう言った。

「じゃあ、俺が現場終わったら、ここに来て、やる事伝えるからそれをメモって次の日二人でやってくれ。現場終わったらまた来るから、また次の日の事をメモってまたやってくれ」

・・・と。

自慢じゃないが、大工の経験など自分達にはないし、兄貴は器用だが、俺は不器用だ。

テーブルや椅子を作るのにもかなり苦労した。

「そんな事俺達にできますかね?」

「やる気だな。」

「じゃあやります。」

と、何も考えずに決めた。








その7

壁を作る時に、どんな材料を使えばいいか考えた。

強度はもちろんだが、安いだけではなく消防法とかもあるという。

澤田さんに聞きながら、とりあえず次の日に消防署に行った。

自分で言うのもなんだが、私達兄弟は顔が怖い。

物件を探している時にも、こう言う事があった。

長谷川という友達が働いている不動産に行って、長谷川さんいらっしゃいますか〜?と普通に聞いて待ってたら、実はその不動産の皆さんが、強盗だと思ったらしく、自分達が不動産に入った瞬間に金庫を裏にもって行きそうになったらしい。

悪気はないのだが、本当に申し訳ないと思った・・・この顔が。

で、消防署に行っても、案の定そうだった。

受付で自分達の目的を言って、では2階に〜見たいになり、2階の事務所に入ったとたん、空気がピーンッと張り詰めた。

慣れた兄弟は、笑顔笑顔と振りまいたが、なかなか空気は緩まなかった。

「飲食店を開きたくて、手続きの説明を聞きにきたのですが?」

「あ〜ッ飲食店ね〜」

みたいな流れがあってやっと和んだ。

どうやら元タイヤ屋さんは、市の火災事故防止特別強化地域になっているらしく、飲食店なら周りの壁は、鉄筋コンクリートでなければ許可がおりないらしい。

兄弟でそれっていくらかかるんだ?と調べると、箆棒な額だった。

またしても問題だー!と、パニくったが、悩みに悩んだあげく、結局こうなった。

頼み込もう!

消防署に通った。カインズホーム程ではないものの、近いくらい通った。

「なんか他にいい方法ないですかね〜?」

「やる気だけは十分にあるんですよ〜」

「なんかないですかね〜」

毎回色んな人に聞いた。

初めは面倒そうに

「この本で調べてー」
とかで、広辞苑みたいな分厚い本を渡されたり、

「担当がいないんでー」

とか言われたりしていたが、ヘコたれる気配のない凶悪な顔の兄弟を見てだんだん良くしてくれる様になり他の方法を一緒に色々考えてくださった。

「我々が許可しても、市役所の建築指導課がなんというか分からないからねー。」

「結局市役所の建築指導課次第なんだよねー。」

「じゃあとりあえず建築指導課に行ってみます。」

と言って建築指導課に行った。

市役所の建築指導課に行くといつもの公共施設の様に空気がピーンとなった。

はいはい。いつもの事ですよ。と空気を和ませ、担当の方を探して色々話した。

担当の方は、真面目一辺倒の無愛想なお方で、全然私達の話を聞いてくれず、相手にもしてくれず、消防署でもらった分厚い本を指して、

「こう言うの読みました?」

「専門家じゃないと話になんないなー。」

見たいな事を言い、そうこうしてると役所内の電気が切れ、お昼の時間になってしまったと言ってどこかに行ってしまった。

なんか人情が薄いと言うか、優しくないと言うか、しっくりしない気持ちと怒りを抑え、その日は諦め次の日の作戦を考えた。







その8

翌日出て来た作戦は、

お昼の時間直前に行って、兄弟の相談に納得のいく答えをくれるまで、お昼行っちゃダメよ!

作戦だった。

11時45分に行き、

「もう1回相談聞いて下さい。」

すると、担当者は当り前の様に時計を見た。一つため息をつくとしょうがなく話を聞いてくれた。

11時50分になり、55分になっても帰る気配のない兄弟にため息をついていた。

12時ちょうどに電気が切れた。

薄暗い建物の中で、兄弟と担当者の3人になった。

「なんか方法はないですかね?」

そこで担当者が言った言葉は、

「ん〜じゃあ、シャッターがついていると言う事で、それで防火効果があるとみなして鉄筋じゃなくてもいい事にしますよ。」

それまで、シャッターの有無や、工事で取り壊すかどうかなど何も聞かれてないので、当り前の答えだと思った。

「そんな方法あるなら先に言えよ!」

と言うのを抑え、

「分かりました。ありがとうございました。」

と言って兄弟で市役所からでた。

いつも兄弟なら、
「ちょっとあなたそれはおかしいんじゃないですか?」

と聞いていたが、今は自分達の店の為にこんなところでグズグズしてられないと、その足で消防署に行った。

消防署では、
「建築指導課がOKなら問題ないです。後は、非常灯と消火器の設置だけですね。」
となった。

消火器は実家にあった。

非常灯は色々探して、親戚が貸していた弁当屋さんが潰れてそこにあると聞いたので、すぐにそれを取りに行った。

「これで準備万端だな。」

と、壁の工事に入った。

壁は、どうやって作るのか全く検討がつかなかったが、夕方から手伝いに来てくれる友達や先輩、毎日現場が終わるとすぐに来てくれる澤田さんの説明と、毎回その時に使う道具などを貸してくださったおかげで何とか出来た。

簡単に言うと、壁を建てようと思う場所の上下に板を付けて、その間にキチキチに切った板をはめていき、その間にもまたその間にも木を入れて、柱をいっぱい建てて、その間に防音材、断熱材を入れて、石膏ボードを付けて、石膏ボードと石膏ボードの間をパテ埋めして、ボルトの跡もパテ埋めして、ペンキ塗りになった。

何色がいいか、そもそも何色が有るのかさえ分からない自分達は、友達の田中塗装店社長を呼んだ。

田中社長は、色々サンプルをもってきてくれたり、最終的には塗装も手伝ってくれた。

ペンキ塗りも、田中社長の指導の元、色々な友達や、先輩など沢山の人が手伝いに来てくれた。

みんな、昼間の仕事を終えて、夕方から深夜まで毎日手伝ってくれた。

本当に皆様に感謝しています。








その9

壁が出来あがってくるにつれて、消防署の許可や保健所の許可など具体的に決めて行かなければならない。

消防署に行き、色々資料を書いていると、どうしても防火設備会社がいないと詳しく分からないところが出て来た。

大工の澤田さんに相談すると、知り合いの設備会社を紹介してくれた。

設備会社の社長さんがわざわざ来てくださって、色々相談すると無償で相談に乗ってくれた。

しかも、非常灯の取り付けや消防署への連絡もしてくださると言う。

「非常灯はありますんで!」

と言いながら非常灯を指差すと、弁当屋さんからはずしてきた古いタイプの大きい非常灯をみて
「今時こんなデカイのつけてるとこないよ?」

と言った。

「えっ?これってデカイんですか?でも、とりあえず今は金銭的にゆとりが無くて、新しいのは用意できないんでしょうがなくて・・・」

そんな話の次の日

「これ開店祝い!」

と、社長が最新型の非常灯をくれた。

「ちっちぇえええっ!あ、でも、そんな悪いですよぉ」

「いやいいから」

と、一緒に来た人に、

「これつけてー」

と、軽く言ってくれた。

本当に、澤田さんをはじめ、田中塗装店、設備会社の社長、友達皆に感謝しながら、皆のおかげで自分達の店は出来上がってきた。

壁が出来てきて今度はドアを作る事にした。

ジョイフル本田やカインズホームに行き色々探していると、自分達が欲しいサイズは全部2万円を超えてしまう。

自分達でドア自体を作ると1万円位で出来そうだった。

すぐカインズホームに行き、木材を買って作った。

素人が作るだけ有ってなんだかやけに重たいドアが完成した。

澤田さんに見せると、ドアの取り付けは大工さんではなく、建具屋さんらしい。

澤田さんが知り合いの建具屋さんの佐藤さんを紹介してくれた。

佐藤さんは実は江口家の遠い親戚だったみたいでビックリした。

佐藤さんはおじいさんなのだが、黙々と仕事をする生粋の職人さんだった。

カンナをかける時に、手の平に「ペッ!」と唾を吐くのだが、それもなんだかかっこよく見えた。

話が変わるが今回の工事で初めて知ったのだが、家を建てるのは大工さんだと思っていたのだが役割がそれぞれ違うらしい。

壁は大工さん。壁の間のパテ埋めはパテ屋さん。外壁の間のコーキングは、コーキング屋さん。

ドアは建具屋さん。それにペンキ屋さん、電気屋さん、水道屋さん、設備屋さんなど色々な職人さんが集まって家を建てるのだ。

澤田さんは大工だが、色々な事が出来る職人さんで本当に助かったと思う。








その10

話は戻ってドアです。

2万円をケチって作って1万円にしたが、バカ重いのを作ってしまったので、蝶番も一番でかいのを5ヶ付けなければならないと佐藤さんに言われた。

「それっていくらですか?」

「1つ3〜4000円位だな。」

「ドアと合わせて25000円以上だな。兄貴」

「そうだな。弟」

「あははははぁ・・・」

と、結局高くついた。しかも作ったので時間もかかった。1万円ケチって15000円損した。

「あははははぁ・・・」

でも遂にドアが付いた。一気に店らしくなった。

だが、まだカウンターもない。トイレも狭い。

壁が出来たと同時に親父の知り合いの水道工事屋さんの森田さんが来てくれた。

カウンターはこの辺で、水道がココとココで、トイレは和式だったので洋式にしたいと伝え、和式のトイレを取り外してもらった。

「洋式トイレはどうする?」

「高いんだよなぁ」

「弁当屋に有るんじゃん?」

弁当屋に行った。

あった。

汚い。

掃除。

兄貴。

3日間。

やる。

すごく。

キレイ。

になった。

温式便座にしたかったが、さすがにそれは付いてなかった。

友達がいるケーズ電気に行って、社員割引、現金値引き、ポイント付きなどマケにマケてもらって買ってきた。

「ドアもトイレも出来たから、後は厨房関係とカウンター用の椅子だな。」

と、色々悩んでる時に同じ時期に筑波に自分の店を出した、オーストラリア人のマーティンから電話があった。

「筑波でバーが1件潰れるよ!」

「ありがとう。行ってみるよ。」

と、その足で筑波に向かった。

早速マーティンと会い、その潰れるバーに行ってみた。

そこのオーナーも外国人で、
「何でも売ってあげるよぉ」

と言っていたので、

「こんな椅子とか、全部捨てるんでしょ?捨てるのにお金かかるんだから安く買ってやるよ!」

と半ば強引に安く買ってきた。

ちなみにマーティンとは、昔からの友達で、彼もほとんど手作りで店を出したのだが、

なんか勢いがすごい男だ。

店舗も決まる前に、長ーいカウンターを自宅の庭に作ってしまった。

「まだ場所も決まってないのに、カウンターが中に入んないような店舗だったらどうすんの?」

「切るよ!」

と、簡単に言ってのけるダンディーなオッサンだ。

厨房器具は、以前スーパーをやっていた実家の倉庫から持ってきた。

ガス台の上のステンレスの風防は弁当屋さんからはずして来た。

強引に外したり、持ち運びも兄弟二人だったので歪みが出来て、今でもその風防には歪みが残ってます。

前にカインズホームで作っておいたカウンターを組み上げ、筑波から貰って来た椅子をならべ、ぐっと店らしくなった。







その11

現場が終わって毎日来てくれる澤田さんや友達達のおかげでお店も急ピッチに出来上がってきた。

澤田さんに開店予定日を告げると、

「今のペースじゃ間に合わないから、最後の3日間は会社休んで来るよ」

と言ってくれた。

最後の3日間の澤田さんと、いつも手伝いに来てくれる友達達でお店は出来上がった。

普通飲食店の開店は、同業者やお世話になった方々を呼んでレセプションをやってから開店になると思うのだが、自分達は手伝ってくれた友達達に最初に兄弟が作る餃子やビールを飲んでもらいたかった。

で、レセプションの前に手伝ってくれた友達を呼んで、お礼の宴をする事にした。

皆が集まる30分位前までなんだかんだと工事の後片付け等がかかり、急いで着替えて皆を待った。

徐々に皆が集まりだして、各々飲み始め、酔ってくる友達をみて本当に感謝の涙が出そうになった。

これからはこれを仕事とするんだな、と思いながら餃子を焼いた。

皆が口々におめでとうと言ってくれるので本当に嬉しかった。

お礼の宴の次の日にレセプションをやり、その次の日から一般営業となり、今に至ります。

皆がいてくれてのG-BROSであり、餃子兄弟です。

感謝の毎日です。

本当にありがとうございましたm(_ _)m

これからも兄弟揃って頑張って行きますのでこれからも本当に宜しくお願い致します。

ありがとうございます!